Moikka!
年末年始から例に漏れず、ばたばたとしてもう春、いや初夏…と思っていたのですが前回の投稿が9月だったのですね。なんだかいろいろしていたうちに、あっという間に時間がたっていたようです(言い訳です)
かなりの時間があいてしまいましたが、目的語の続きです。
まず、前回の投稿のうち、文法の説明に関する箇所を一部修正しました。理由としては目的語について改めて考えていた時に、Genetiiviは厳密には目的語の格の表現として適しておらず、Akkusatiiviのn-objektiとして書くことが好ましいと個人的に思ったためです。
文法の本によっては、Genetiivi-objektiと書かれているものもあるので(私の主テキストであるSuomen mestariが正にそう…)、何が正解かはわからないのですがGenetiiviは「〇〇の」という表現を表す格である→それを目的語として書くのは不思議だな?という考えです。
また、分類の順番も入れ替えました。可算名詞・不可算名詞と、行動の完結度合いで考えると行動の完結度合いのほうが、目的語の格を決めるにあたっては優位な条件であると考えたためです。
※重ね重ねではありますが本ブログの内容は、あくまでも私個人の解釈・考えです。文法について詳しく学んでいるわけではないので、認識の誤りがあればぜひご教示いただけますと幸いです。
上記の考えの上では目的語はPartitiiviobjekti/ Akkusatiiviobjektiという大きな区分けができ、形の構成としては以下のように分類できると考えています。
・Partitiiviobjekti=Partiitiiviの形をしている(単数、複数あり)
・Akkusatiiviobjekti=Nominatiivi(単数、複数)、n-objekti(Genetiiviと同じ形・単数のみ)、Akkusatiivi独自(代名詞を指すとき)の形をしている。いずれの形をとるかは文章のつくり・意味合いによって異なる
その中で、前回に以下の①から順に見ていけば、ある程度適切な目的語の形が選べるはずです(例外を除く)としました。※順番を見直して入れ替えています。
①動詞が特定のもの、特定の文法の形であるか
②文章が肯定文・否定文のどちらであるか
③目的語に対する行動は終わっているか、もしくは行動は目的語全体・特定の目的語に対してのものか
④目的語が可算名詞・不可算名詞のどちらであるか
⑤肯定文の場合、目的語に数をあらわすような表現をつけるか
⑥目的語は人であるか
前回は①・②について書きましたので、今回は③・④について進めたいと思います。
③目的語に対する行動は終わっているか、もしくは行動は目的語全体・特定の目的語に対してのものか
まず、結論から書きます。
・目的語に対する行動が終わっている(完結している)、目的語はその物のもの全体を指す、特定の目的語を指す場合:目的語はAkkusatiiviobjekti
・目的語に対しての行動は途中/過程を指す、目的語の一部分を指す、目的語が何を指すか曖昧な場合:目的語はPartitiiviobjekti
ここは例を見ながらのほうがわかりやすい?かと思いますので、例に進めましょう。
1) 目的語に対する行動の状態:行動が完結しているか、途中/過程であるか
「私は本を読む」という文章に対して、目的語の形でニュアンスが変わってきます。
Minä luen kirjan. :私は(その)本を(すべて)読む。
Minä luin kirjat. :私は(それらの)本を(すべて)読む。
Minä luen kirjaa. :私は本を読んでいる。
Minä luen kirjoja. :私は(何冊かの)本を読んでいる。
前者2つ:Akkusatiiviobjektiでは、(一定の)本をすべて読むとの意思を含む文章になりますが、後者2つ:Partitiiviobjektiでは、どんな本をどの程度読むかは関係なく、動作の途中を示す意味になっています。現在進行形の今何をしている、と目的語が暗に明確にされている状況では、複数のPartitiiviobjektiを使うのはほとんどない(文法的にも不思議な感じ?)ように思います。複数のPartitiiviobjektiだと、同時にいろいろな本を読んでいる=Aの本を1ページ読んだら、Bの本を1ページ読んで…がたくさんという場面を想像してしまうので、なかなかレアケースなようにも感じますね。
過去形「私は本を読んだ」でも同じですね。こちらのほうが完了/途中の違いがわかりやすいかもしれません。
Minä luin kirjan. :私は(その)本を(すべて)読み終わった。
Minä luin kirjat. :私は(それらの複数の)本を(すべて)読み終わった。
Minä luin kirjaa. :私は本を読んだ。
Minä luin kirjoja. :私は(何冊かの)本を読んだ。
前者2つ:Akkusatiiviobjektiでは、読み終わった=動作が完了した文章になりますが、後者2つ:Partitiiviobjektiでは、本の一部分を読んだ=本を読む動作の途中を示す意味になっています。複数のPartitiiviobjektiでは、同時に読みかけの本がいっぱいあるような感じでしょうか…文法的には使えるのかもしれないと思うのですが、使う場面があんまりピンとこないですね(でも現在形よりはまだシーンとしてありそう…?)
2) 目的語を指す範囲:物の全体か、部分か
「あなたはパンを買う」という文で考えてみましょう。
Sinä ostat leivän.:あなたは(その)パンを(塊で・すべて)買う。
Sinä ostat leivät.:あなたは(それらの)のパンをいくつか(塊で)買う。
Sinä ostat leipää.:あなたはパンを買う。
Sinä ostat leipiä.:あなたは(いろいろな種類の)パンをいくつか買う。
前者2つ:Akkusatiiviobjektiでは、パンの塊全体を買うという全体を指すニュアンスを含む一方で、後者2つ:Partitiiviobjektiでは、パンをどれだけ買うかという量的なニュアンスは曖昧になりますので、塊をスライスしたものや、一部を買うときはこちらが当てはまると思います=より一般的な「パンを買う」という行為の表現に近いですね。また、複数のPartitiiviobjektiになると、いろいろな種類という意味を含むこともできますので、パン屋さんでいろいろなパンを買うときはこの表現が自然なように思います。
複数Nominatiiviには「いろいろな種類の」のニュアンスを含まない、先の3)の内容になりますが、より特定の物を指す表現もあります。なので、上記のSinä ostat leivät.では、いくつか買った塊のパンが同じ種類か・違う種類かはこの文章のみからは明確に判断できないと思います。文法的に考えると、いろいろなというイメージよりも、さらに狭い表現を指すという意味を感じ取れることもできますし、パン屋さんではだいたい違う種類のパンを買うことが一般的に多いかなと感じる点からも、「Sinä ostat leipiä.」がより自然な表現なように個人的には思います。同じ複数であっても、ある程度の特定感を出してくるNominatiiviと、たくさんの、いくつかの、いろいろなといった量・目的語の定義としても曖昧さを持つPartitiiviとの違いが面白いですね。
④の内容の先取りになってしまいますが、パン=不可算名詞は上記の表現ができましたが、可算名詞ではどうなるでしょうか?
「あなたは車を買う」という文章で考えてみましょう。
Sinä ostat auton.:あなたは(その)車を買う。
Sinä ostat autot.:あなたは(それらの)車を何台か(複数台)買う。
車は部分的に買うこと(物理的に半分だけ買って手に入れるといった行為)ができないので、Partitiiviobjektiを使うことはできませんね。
では、「あなたは数学を勉強する」という文章では目的語はどうなるでしょうか?
Sinä opiskelet matematiikkaa.:あなたは数学を勉強する。
数学:matematiikkaは不可算名詞であり、Akkusatiiviobjektiを使うことはありません。また学問を指すので複数も存在しないですね。
ここのポイントとしては、Sinä opiskelet matematiikan.とAkkusatiiviobjektiを使った文章も作ることはできるのですが、この文章の意味は「あなたは数学のすべてを勉強する(勉強しつくしてすべて知る状態を指す)」となるため、現実的にほぼありえない=表現として使うことがない、という意味で、使うことはない、という説明としました。
3) 目的語について:特定のものを指すか、指さないか
これまでの文章で、Akkusatiiviobjektiを使った文章の日本語に(その)(それらの)というカッコ書きを入れている理由がここにつながってきます。
Sinä ostat auton.については、特定のもの(前述しているもの)を指すこともできますし、指さない意味を持つこともできます。この「Sinä ostat auton.」という文章だけではどちらの意味かわかりませんが、特定のものを指す例として以下のような文章が考えられるかと思います。
Minä myyn minun vanha auto. Sinä voit ostaa auton.:私は私の古い車を売る。あなたはその車(=私の古い車)を買うことができる。(文章としては、Sinä voit ostaa sen.のほうが自然のように感じますが…)
では、「私は女の子に会う」という文章で考えてみましょう。
Minä tapaan tyttö.:私はその女の子(一人)と会う。
Minä tapaan tytöt.:私はその女の子達と会う。
Minä tapaan tyttöä.:私は女の子と会う/会っている。
Minä tapaan tyttöjä.:私は女の子達と会う。
前者2つ:Akkusatiiviobjektiの文章は、誰・どのような・何人かといった特定の女の子を示す文章が先にある場合、会うのはその女の子(達)とですよ、と明確に示すことができます。もし文章がない場合も、目的語が人なので、ある程度の誰か(=知っている人)かな?会う人数もだいたいイメージが付くかな?という雰囲気も感じますね。一方で、後者2つ:Partitiiviobjektiでは、女の子が誰か・どのような・何人かといったことはここでは関係がなく、漠然とした「女の子(達)」という表現になります。未来に出会う人(現時点でだれか・何人かわからないけど、これから会う人(達))を指す場合はこちらを使いますね。でも「Minä tapaan tyttöä.」は1人をぼんやりと指す文章になるので、不思議な感じがします。知らない女の子と今会っている・今から会うというイメージでしょうか…?
④目的語が可算名詞・不可算名詞のどちらであるか
まず、可算名詞・不可算名詞とは?というところからですね。似た内容を指すフィンランド語は、Jaollisuus(可分性) ⇔ Jaottomuus(不可分性)でしょうか。
言葉の分類としては日本語の指すものと同じですが、数えられるかどうかではなく分割できるかどうかという視点のため、考え方が少し異なるように感じています。
・可算名詞=Jaottomuus(可分性)を有する言葉
→ 分割すると、その本質が変わるもの。家、車、椅子、目、人など塊で意味を成す具体的な名詞が多いですね。
・不可算名詞=Jaollisuus(不可分性)を有する言葉
→ 分割しても、その本質が変わらないもの。Suomen mestariではAinesanaとも説明されていました。食べ物(お米、サラダなど)、飲み物(水、コーヒーなど)、素材、抽象的な言葉(愛情、美しさ、信仰、希望、学問などの概念的な言葉と考えています。)が含まれます。
これらの名詞が目的語となる場合、一般的に可算名詞=Akkusatiiviobjekti、不可算名詞=Partitiiviobjektiとして扱います。
④のように特定のものを指す(具体化できる)ようなニュアンスができるか、規模や量のイメージが曖昧で特定できないかというニュアンスで考えるとわかりやすいかもしれません。
例としては、以下の通りです。
・可算名詞:本(Kirja)の場合
Tämä on minun kirja. これは私の本です。
Nämä ovat minun kirjat. これらは私の本(複数)です。
Tämä on mielenkiintoinen kirja. これは興味深い本(面白い本)です。
Nämä ovat mielenkiintoiset kirjat. これらは興味深い本(面白い本)(複数)です。
は興味深い本(面白い本)です。
Minä ostan kirjan kirjakaupassa. 私は書店で(その)本を買います。
Minä ostan kirjat kirjakaupassa. 私は書店で(それらの)本を買います。
→ 5・6番目は本全体を買うという完結した行動に対する目的語のため、単数がn-objektiの形となっていますが、すべてAkkusatiiviobjektiです。また、興味深い本の「興味深い(面白い)」の形容詞:mielenkiintoinenは修飾する形容詞の形:Akkusatiiviobjektiのnominatiiviに合わせて、nominatiiviとなっています。
でも、本も③の例のように「途中まで読む」を指す場合はkirjaaになっちゃうのですよね。ややこしい…ので、目的語を使う文章がどのようなものであるかも注意する必要があります。
・不可算名詞:コーヒー(Kahvi)の場合
Tämä on minun kahvia. これは私のコーヒーです。
Tämä on kuumaa kahvia. これは熱いコーヒーです。※ちょっと変な文章ですが。
Minä juon kahvia joka aamu. 私は毎朝コーヒーを飲みます。
→ 全てPartitiiviobjektiとなっています。また熱いコーヒーの「熱い」という形容詞は、修飾する目的語に合わせて、kuuma→kuumaaとpartitiiviの形に変わっている点もポイントです。なお、1つ目の文章の「minun」は「私の」という所属を指す=Genetiiviであることは可算名詞・不可算名詞いずれであっても同じです。コーヒーだと対照的な複数の文章が作れず説明できない部分があるので、いちご:mansikkaを使って補足します。
Tämä on kotimaista mansikkaa. これは国産のいちごです。
Nämä ovat kotimaisia mansikoita. これは国産のいちごです。
Minä syön mansikkaa tänään. 私は今日いちごを食べます。
Minä syön mansikoita tänään. 私は今日いちごを食べます。
→ こちらも全てPartitiiviobjektiとなっています。国産の:kotimainenという形容詞も、修飾するいちごの形によって、単数・複数のpartitiiviに変わっています。
単数・複数も訳の言葉としては同じになるのですが、ニュアンスが大きく異なってきます。単数の場合はいちごは1種類であって、そこにある・今日食べるのは「あまおう」というイメージですね。あまおうがいくつあるか・いくつ食べるかについてはここでは書いていないので、よくわかりません。もし、1袋分のいちごを食べたという場合は、量が定義されますので「Minä syön pussin mansikkaa tänään.」と1袋の量を指す袋:pussiがGenetiiviの形となりますが、いちごはPartitiiviのままです。
一方で、複数の場合は、いくつか・種類がいくらかあるというニュアンスを含んできます。そこにある・今日食べるのは「あまおう」だったり「とよのか」や「ももいちご」であったりするわけですね。でも何種類あるのか、いくつあるのかということはよくわかりません。先ほどのleipäの文章と同じですね。
また「Minä syön mansikoita.」という文章は、私はいちごをよく食べます、という習慣を指す文章として使うこともできます。よくする、という習慣のニュアンスを持たせることができるのは複数のpartitiiviの特徴の一つかと思います。
整理しますと、可算名詞は文章の意味によってはPartitiiviobjektiで書くこともあります(書かないものもあります)が、不可算名詞はAkkusatiiviobjektiで書くことはない、ということですね。
このように思い返しながら書いてみますと、目的語はやはり複雑ですね…今回の内容は書きながら混乱してくる箇所が多くので、非常に時間がかかってしまいました。網羅しきれていない・知らない・誤って認識していることもあるんだろうなと思いますので正直あまり自信がないです…のでもしお気づきのところがありましたら教えていただけると嬉しいです!
さて、次回は目的語の残り2つの説明です。
再来週からHAYにて新しい授業が始まるので、それまでに書きたいな、と思いますが…
Nähdään!